BLOGTOP » スポンサー広告 » TITLE … 遠藤周作「王妃 マリー・アントワネット」BLOGTOP » その他感想 » TITLE … 遠藤周作「王妃 マリー・アントワネット」

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

遠藤周作「王妃 マリー・アントワネット」

王妃マリー・アントワネット (上巻) (新潮文庫)王妃マリー・アントワネット (上巻) (新潮文庫)
(1985/03)
遠藤 周作

商品詳細を見る

今年末に帝国劇場でMAをやるとるっきーちゃんに聞いて
久々に読み返してみました。
この小説を読んだのは確か最後は小学校か中学校の頃。
ツヴァイクほどではなくとも結構好きだった記憶はあったのですが
読み返してみて、かなり覚えてるシーンがあって驚きました。
読み返して面白かったから見にいけるといいなあ。わくわく。

という訳で、もしチケット取れたら見に行く前に読み返そうと思って
感想を書いてみる事にします。

****** ▼ 追記記事 ▼ ******

ていうか、この話はアニエスとフェルセンがいいね!
アントワネットの本命はルイ16世にしか私には見えなかったけど(汗)
それが逆に彼の純粋な愛を感じます!
プレイボーイには程遠い素朴な人柄も素敵です。いいなあ。遠藤フェルセン。
しかしこの作品で一番輝いてたのはアニエス修道女な気がします。

「さようなら、マルグリット。さようなら、私の愛した民衆。
革命は正しい、でもそれは人間を尊重するためで、
人間を侮辱するためにあるのではないんだわ。」


久々に読み直したこの本のこの言葉に、
ずっと私がフランス革命に感じていた
割り切れなさの源泉を思い出した気がしました。
私は比較的、フランスを愛しています。
日本と違い、自らの手で自由と平等を手に入れ、
母国語を愛し、母国を誇る彼らの自尊心の強さに憧れています。
私達日本人が失ったナショナリズムの輝きを
未だしっかりと持ち続けるフランス人が好きです。
でも、反面、フランス人の気性を激しく時に残酷に感じるのは
幼い頃に読んだこのフランス革命の数多の書物あってのことなんだと思います。

私も特権階級が富を当たり前に得られる王政は間違っていると思う。
それに甘んじたアントワネットは間違っていたし罪深いと思う。
無知と無罪は全く別のもので、アントワネットは革命という形で
裁かれたからこそ、今日悲劇の王妃と呼ばれる女性であり、それがなければ、
民から搾取した税を無駄に浪費した数多の寵姫と何も違わないと思う。
愛情深く人に担がれ同情しやすく優しい人柄であったとしても
その軽薄さと無知が生んだ罪を考えれば憎まれてやむない女性だと思います。
けれど、ここまでの報復をされなければいけないほど
彼女は確信犯ではなかった。
報復は必要だったと思う。けれど、ここまではする必要があったのか。
ほぼ毎日のように流される革命広場での流血。
それはもはや、人のもつ卑しい本能を満たす行為でしかないのではないか。
それならば、彼らの行為は自らの寂しさにまけ、
本能のままに快楽を求め続けたアントワネットとどれほど違うのだろう。
作中アニエスの感じていた思いは私のフランス革命への思いに近くて
下巻はほぼ、アニエスに感情移入して読んでいました。
アニエスのモチーフは、マラーを殺した「暗殺の天使」と呼ばれた
シャルロット・コルデーですが、彼女に関してはそんなに思いいれはないのですが
アニエスは読み返して凄い好きになりました。

この作品のフェルセンの愛は何かある意味痛々しい気がします。
どうしても私はこの作品のアントワネットは
ルイ16世を愛していた気がしてならないのです。
「頼りにならないし決断力はないし・・・でも優しい、善良な人なの」と
繰り返すアントワネットをみてると、
そして、アントワネットがフェルセンへの愛を自覚したのが
花のヴェルサイユ時代ではなく(ツヴァイク版マリーはこの時代に自覚してる)
没落のチャイルリー時代であることを考えると
愛してるというより、愛されている感謝といった方がピンと来る気がします。
勿論、遠藤版フェルセンもアントワネットも愛しあってはいたと思うんだけど
でも、タンプル塔やコンシュエルジェリーでルイ16世ばかり思い出してる
アントワネットをみてるとどうも遠藤版マリーは
ルイ16世の方が好きだった気がしてならなかったり。
まあ、ルイ16世の人柄は遠藤小説らしい人柄だから
作者のルイ16世への思い入れのせいもあるんだろうな。
当時の私が遠藤版ではなく、ツヴァイク版に傾倒したのは
そのせいだったのかもしれないですね。
今では、こういうアントワネットも貞淑で素敵だなあと思います。

当時はフランス革命の本を恋愛小説的に見てきたので気付かなかったのですが、
読み返してみて、アントワネットは何か勘違いしてた女性だったなと思います。
正直、王妃としての彼女は最後まで好きにはなれません
(私は第一王子死後、母として反省し開花したアントワネットは好きだけど
あくまで母としてのアントワネットが好きなんです。)。
タンプル塔に入れられて、不自由ながらも家族で天寿を全うしたならば
私にとってフランス革命は、そんなに疑問を持つ革命ではなかった気がします。
彼女が最後に遺書に書き残した言葉。
「人生で一番大切なことは、自分の主義を守り、自分の義務を果たす事」
そして彼女は最後まで、自分の主義である優美さと典雅を鎧にして
断頭台を上っていく。
彼女は最後まで、自分の義務であった「国母」としての役割を
果たせなかった事に気付けなかった。
あれだけ、母マリア・テレジアが彼女を案じて叱ってくれていたのに
最後まで、彼女は国母になれない自分に気付けなかった。
フランス革命の真っ只中で彼女の行動が常に裏目にでたのは
結局、彼女にこの自覚がなかったからだった気がしてなりません。
けれど、彼女は最後には手にしたものがある。
何を守りたいのか、何を愛していたのか、自分の命より大切な子供達。
彼女は仏蘭西の王妃であることに拘ったけど、
私は彼女は王妃かもしれないけど、「仏蘭西の」王妃ではなかったと思う。
けれど、確かにアントワネットは「優しく優美な母」で、
家族を子供を愛していて守りたかったこと、
そして優雅で典雅であるという信念を子供に残したかったことは私は否定しない。
それはアントワネットの生きて掴んだ彼女の価値だったと思います。

この作品のもう一人の主人公マルグリットは
上巻ではある程度感情移入できたものの、
下巻では私には感情移入できなくなってました。
結局それは、彼女の選んだプラス方向の「価値」を、
私には見つけることが出来なかったからだとおもいます。
彼女の人生はただ、同い年の何もかもに恵まれた皇女を憎んで
社会の理不尽さを彼女に感じて進んでいく。
ただ、自分を哀れがり、自分の辛さをアントワネットと比較し
アントワネットを憎む事が彼女の価値になっていった。
その気持はわかるから、上巻では彼女に感情移入できた私も
下巻で血に餓え、血に猛るマルグリットには全く感情移入できませんでした。
けれど、豊かな日本に生まれた私には彼女の苦しみや惨めさはわからない。
だから彼女の憎しみを蔑む事はできないけれど、
ただ、マルグリットが「アントワネットを憎む」こと以外の価値を
得られなかった事は寂しい事だと思います。
アントワネットが処刑され、革命広場で涙を流すマルグリット。
彼女の人生はアントワネットを憎む事が全てだった。
マルグリットの今までの価値はアントワネットが死ぬ事で終わってしまった。
アントワネットの死とともに、今までのマルグリットも死なざる得ない。
「アントワネット」を憎んで生きてきたマルグリットは
「アントワネット不在の時代」を新しい価値観でいきていかないといけない。
断頭台に向うアントワネットにマルグリットはいう。
「結局勝ったのは私じゃないか、あんたは殺されるんだから」。
けれど、アントワネットは自らの人生に
「母」「優美で典雅」という価値を見出せた。
けれど、マルグリットは「彼女」の価値を見出せていない。
結局、どちらが勝ったのかは、私にはわからない。
けれど、誰かを傷つけるために生きた彼女と
わが子を守るために生きた処刑台に向うアントワネットなら
今ある姿だけみれば、
精神的にアントワネットが勝利したような気がしてなりませんでした。
そして、何より、マルグリットが生きているのは
アントワネットの願いゆえだったことが、
作者のマルグリットヘの憎しみにみちた人生への皮肉にも感じるのです。


【帝国劇場版MAにおもうこと。】

マルグリット>人物紹介を見た感じでは
原作と違ってかなり信念がありそうな女性になりそう感じ。
原作のアニエスとマルグリットを足して割った感じっぽいです。
これなら後半も好きでいられそうかな?と思う反面、
原作のマルグリットだからこそ、最後に意味を持たせられる気もするので
そこらへんが不安でもあります。
ただ、あらすじをみると最後も少し違う気がするから
そういう点ではかなり違うお話になるのかな?

アントワネットとフェルセン>現在公開されてる動画をみると
やっぱりフェルセンとアントワネットの恋は比重が置かれそうな感じ。
でも上記に書いたように私にはあんまり遠藤版マリーが
フェルセンにルイ16世以上の愛を感じていたようにはみえないので
(優しくしてくれたり守ってくれる人を悪く見る女性は少ないです。
非遇な時ならなおさらです。逆に非遇な時に頼りにならなくて決断力がない男性を
何だかんだいって庇ってる女性は珍しいです。好きじゃなきゃ出来ない。)
遠藤版でこれに比重をおくのは難しい気も・・・。
それとも今出てるPVの曲はチャイルリー時代に流すのかなあ?
何か歌詞とかみてるとヴェルサイユ時代な気もしなくもないのですが。

今のところでてる情報と、原作を読んだ感じだと
原作 遠藤周作 というより 参考文献 遠藤周作 って感じがします。
かなりクンツェさんがアレンジしてオリジナル要素満載なのかもしれない。
もしチケットとれたら遠藤版はあんまり頭にいれず
違う作品をみるつもりで楽しんできたいなとおもいます。わくわく。

・・・るっきーちゃん、いつもチケットとってくれてありがとう。ぺこり。

*** COMMENT ***

COMMENT投稿

管理人にだけ読んでもらう

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。